2010年5月31日月曜日

小早川宏遺作展より(上)


 先ごろ、吉祥寺の創・リベストギャラリーで小早川さんの遺作展があり、出かけていった。十数点の油絵はじめ水彩画などが展示されていた。同時に残されたたくさんのスケッチブックも披露されており、大変興味深く拝見させていただいた。今も宏さんがスケッチブックの向こうから語りかけて来られるような感じがし、不思議な存在感があった。以下に紹介するのはそのおり、プレゼントされたA5サイズの64頁からなる貴重な遺作集に載せられていた奥様の文章である。題して「絵について(制作を見守って・・・)」である。

 「良い絵を描く力を与えてください」とは、主人の生涯の心からなる祈りでした。あらためて残された沢山の油絵、水彩、墨絵、スケッチなどをみるとその量の多さに驚かされます。また、どの絵にも描く喜びが満ちていて、絵を描くことがどんなに大きな喜びであったかを思わされます。
 生活を共にした二十五年間は、決して絵を描くのに最良の状態ではありませんでした。主人として家計を支えつつ、私の母の介護の重荷や、また自分の難病を抱えながら描き続けたのです。絵描きとしてこれからという七十の歳に、突然天国に召されたのです。
 長い間、主人の絵の成長を心から願い見守ってきた者として主人の制作の歩みを振り返ってみたいと思います。

 若い頃は主にパリやヨーロッパの街々がテーマでした。その間は印象派のモネなどに学び、手探りしていた時期でもありました。ある時は色彩に、またある時には線を画面に生かしたりしながらいろいろな試みをしています。
 けれども、仕事を辞めて長期に腰を落ちつけてパリに滞在できるようになってからは、沢山の地道なスケッチをもとに彼自身の活き活きとした世界を表現するようになりました。
 墨絵や淡彩で描かれた線は、線が線と呼応して画面に躍動感と清潔なすがすがしさと生命感を与えてくれます。

 見たままを描くことは簡単ですが、それを自分の心の世界まで昇華し、自由に活き活きと描かれた線は彼にしか至り得ない境地だとおもいます。けれども、また難病であることが分かってから召されるまでの三年間は、彼の心がどのようなところを通ったか推し量ることはできません。「もうあまり長く生きられないと思ったら、遠慮するのをやめた・・・」と言って、子供の頃に疎開していた沼田へ写生旅行に行き、その山々の風景を油絵で沢山描きました。
 その画面からは迷いが消え、決定された色面が思いきって塗られ、健康的な力強い明るさに満ちていました。さらに召される間際は、何かに憑かれたように「同じ構図で描けば何か分かるかな」と、ベニスの絵を描き、その連作は三十七枚にも及びました。

 初めの頃の作品は、手探りで迷いがありましたが、最後はこの世を突き抜けた、彼の明るい心の世界を表現していました。
 空にぽっかり浮かんだ白い雲には、あたかもこの世を越えた天上の世界を思わされます。生への執着を捨て切った者だけが描けるような青い空の白い雲です。ご一緒に彼の歩みをたどっていただけたらと思います。

 まだこの後、奥様の文章は「人柄と生活の思い出」「病気と最後の別れ」と続くが、それは明日以降に紹介させていただきたい。いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方がこう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。」(旧約聖書 イザヤ57:15) 

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